未来共創新聞1面コラム
第27号(2016年2月29日)
連合国軍最高司令官として6年間日本占領に当たったダグラス・マッカーサーは、その『回顧録』で「日本人」の属性を言葉として鋭く言い当てた。曰く「十二歳の少年のようなもの」。前後の文脈を読むと必ずしもけなしているのではない。「彼らは新しいモデルに影響されやすく、基本的な概念を植え付けることができます」ともある。
戦後の日本人はなぜアメリカを熱烈に受け入れ、今もアメリカに好意をもっているのか。権力者が威張り、尊敬され、ヒラメのように目を上だけに向けて、お上の顔色ばかりを伺ってきたこの国の民衆にとって、アメリカの占領政策は、「人間平等」を制度としても実感としても浸透させてくれたからである。
日本が近代に入ってようやく「超越的な道徳原理」(小倉紀蔵著『朱子学化する日本近代』)による権力の相対化に目覚めたのに対して、韓半島では李王朝において既に超越的道徳原理による価値序列化が、それが建前にしろ確立していた。韓国でキリスト教が浸透しえたのも、十二歳の日本より哲学が成熟していたからである。日本は、道徳原理では兄貴格である韓国という「一個の哲学」と対話・共働して新しい哲学を共創すべき時をようやく迎えた。
第26号(2015年11月20日)
新井奥邃は「開新」という言葉をよく使った。思うに奥邃の開新には個体生命の己心の開新と人類社会の開新の二つの意味がある。それは「公共する哲学」の対話・共働・開新の「開新」にも通じるが、究極の目指しは「人類社会の開新」である。自分一人の開新はありえないからだ。これを公快共楽の栄郷ともいう。
開新への心構えを「立志」という。志は「士の心」すなわち「戦い」の心の異名である。なぜ戦いなのか?
現在の人類社会に正義が実現しているとは到底思えない。過欲と暴力が跋扈し、仮初めの現状を維持するために戦争も、将来世代への核のゴミの押しつけも黙認するニヒリズムが蔓延している。現世の闇と戦う人間の決意と行動なくして開新はないからだ。
奥邃が多用した「神戦」とは闇との戦いである。但し、それは武器による戦いではない。覚悟の戦いである。奥邃は当時の仏教界を厳しく批判したが、釈迦を批判していたわけではない。「悲華経」に「十法界の衆生無始よのこのかた造作する所の極重五無間等の諸罪合して我が一人の罪と為す」とある。キリストの「贖罪」と響き合っている。
日韓の関係は今は闇かもしれない。しかし、我々に神戦の覚悟の行動があれば、東アジアに開新の夜明けが必ず来る。
第25号(2015年9月15日)
韓国と日本の歴史書からは日・中・韓三国間の交流史が読み取れる。古代神話には民族のアイデンティティが現れているが、嘘を混ぜたロマンは理性を麻痺させ続けるだろう。
そのことを深く考えさせる歴史研究書が刊行された。高橋義雄著『応神天皇の征服』がそれである。日本が韓半島との関係で繁栄がもたらされるターニングポイントが神功皇后の(腹の中の応神天皇を大将とする)新羅征伐だ。高橋氏は、そのドラマのプロット(筋)を逆転させ、事実に沿うドラマを提示してみせた。実は史実を逆転させていたのは『古事記』『日本書紀』の編纂著・太安万侶と権力者・藤原不比等であった。
応神天皇とは、韓半島の金官伽羅国初代王、首露王の日本名だという。首露王は建国からわずか十年で倭国を征服。和還・物部倭国王覇は、扶余の騎馬民族に屈服させられた。不比等や恒武天皇は、首露王の東征を神武天皇の東征として公認し、大陸とは無関係の天照大神を祖神とする“万世一系の天皇国家”を創作した。この古代史の握造が日本の国の形を歪め、東アジアに悲劇をもたらす根源となる。日・中・韓による歴史の共働研究は、未来共創のために必須の事業となってきた。
第24号(2015年6月22日)
霊性プームと言われる。近代の羅針盤であった理性と感性だけでは現代の逼塞状況を突破する力になの得ないがゆえに霊性人間を求める言説が高まってきた。「霊性」と一貫して向き合ってきた鎌田東二教授と、公共する哲学の金泰昌博士との対談が実現した。日本的霊性とハン的霊性の出会いである。
お二人が日本神話の素戔嗚尊に実存的親近感を抱いていることが分かった。高天原を追放されたスサノオは、出雲の地で八岐大蛇を知略と豪腕によって退治し、美しきクシチダ姫と結ばれて「八雲立つ……」のあの有名な歌を詠み、地上に正義と平和を運ぶ英雄となる。しかし、八岐大蛇は本当に死んだのか?と金氏が間いかけた。
その後、鎌田氏が制作に携わった映画「久高オデッセイ」を観る機会があった。日本の原郷として、沖縄本島の東に位置する久高島の神事を追う。貴重なエネルギー源である、十年ぶりのウミへビ猟の場面は鮮烈だ。“大漁”であった。
一方、同じへビでも人間を不幸にする八岐大蛇の方は福島原発メルトダウン事故を境に、東アジアを分断する巨大な百岐大蛇となって息を吹きかえしてはいないか。現代のスサノオが連帯して魔軍と戦う行動哲学を共創できれば本望である。
第23号(2015年4月20日)
4月の10日から3日間、根雪の残る長野県飯綱高原の公益財団法人「いのちの森文化財団」の「水輪」に滞在した。目的は、ここで定期的に実施されている帯津三敬病院名誉院長·帯津良一博士の医療講座の取材。「公共する哲学をともにする会」の金泰昌氏と帯津氏との対談の取材。
11日午後4時過ぎから行れた対談の場には同財団の塩澤みどり代表理事、塩澤研一副代表理事、巽信夫博士、奧野芳茂博士も立ち会い、生命論、宇宙論など多岐にわたった。帯津氏は、日本ホリスティック医学協会会長で日本ホメオパシー医学会理事長も務める。東洋医学と西洋医学統合のパイオニアである。日本発の「公共する哲学」の唱道者である金博士と帯津博士の邂逅が今後何を産み出すのか。新しき時代の到来を予感させる、ドキドキ、ワクワクの心臓が会場の水織音に共振しいた。
帯津氏は著『養生は爆発だ』で語る。十九世紀に生まれホメオパシーへの再評価が二十一世紀に起この始めた、と。帯津氏は治療に中の気功も採り入れた。病院名に「三敬」の名を冠したのは中国古典『老子』の「三は万物を生ず」から。人間一人ひとりの尊厳を敬う。「敬」の一字に、新文明開新の羅針盤を確信した。