未来共創新聞1面コラム

第32号(2017年2月10日)

2017年03月23日

フランスの大文豪ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』。表題の意味は「悲惨なる人々」である。貧困のため一片のパンを盗み監獄に入れられた少年ジャン・ヴァルジャンが脱獄したところから、生涯「罪」を背負った彼の人生が始まる。

教会の牧師との出会いで悔い改めたジャン・ヴァルジャンはその後世間的な成功を収めるが、彼の過去の罪を執拗に追い続ける警部ジャヴェールの発見するところとなり逮捕・脱獄の繰り返しで「罪」はどんどん大きくなる。しかし、美しき魂のジャン・ヴァルジャンは生涯、自分に赦しと愛を与えてくれた牧師の愛を原点に生きる。彼のヒューマニズムは、二十一世紀の我々にも深い感動を与える。

一方、パン泥棒に端を発するジャン・ヴァルジャンの「罪」を許さないと「正義」の炎を燃やし続けてきたジャヴェールは入水自殺を遂げる。それは、人間的な愛に生ききったジャン・ヴァルジャンの勝利でもあった。

新約聖書のヨハネ伝にこんな逸話がある。律法主義者が姦淫の現場を押さえられた女をイエスの前に連れて来て律法による処罰を求めた。「罪無き者はこの女を石で打て」。誰一人打つことができなかった。イエス自身も。

第31号(2016年1月21日)

2016年12月26日

易に「霜を履(ふ)んで堅水(けんぴよう)至る」という卦がある。今は霜だけれど、次に氷が張り詰める厳冬が必ず来るという警告である。易は人間生活の移り変わりを四季(四時)になぞらえる東洋の智慧だ。

戦後日本の経済成長路線の最大のプロデューサーは世界の電通だろう。その足下に霜が降り始めた。電通女性新入社員の過労自殺の労災認定をきっかけに、東京労働局による大がかりな臨検が行われた。電通の神通力が落ち始めたのではないか。

かつて京都大原の三千院と比叡山中の横川中堂を結ぶ東洋一のロープウェイ架橋計画があった。山に動物園を、大原盆地に多目的ホールとスポーツ施設を建てる一大観光プロジェクトである。自然と歴史的景観を破壊する暴挙を企画立案したのが電通であった。結果として頓挫したが、記者が自宅を訪ねてコメントを求めた林屋辰三郎氏(歴史学者)は、戦後日本の環境破壊の元凶として、電通を厳しく批判していた。

福島第一の原発事故にもTPP報道にも及び腰の大新聞とテレビマスコミの背後で電通が蟠踞(ばんきょ)しているであろうことは容易に想像がつく。しかし、驕れる者は久しからず。大マスコミは電通とこのまま無理心中するのだろうか。

第30号(2016年8月15日)

2016年11月04日

グローバリズムに対抗してナショナリズムやローカリズムが唱えられているが、いずれもイズム(主義)に収斂してしまう。金泰昌氏は、三つのイズムを横断媒介する概念として、公共する哲学で「グローナカル」を唱えた。

ナショナルの「ナ」を欠いたグローカルだと、軍事力がものを言う現実の国際政治の中で個人は無化する。いかなる自由人にも国籍はある。だから、現時点ではグローナカルでなければならず、そこからいかにしてナショナルを薄めつつグローカナルに漸進的に移行していくかが長期的目標となる。

国際政治はインターナショナルである。肌の色や民族や男女等々の違いを超え「人間の尊厳」に立脚したインターインディビジュアルという究極の理想にいくためのステップとして、インターローカルがある。

中央集権の弊害と地方の疲弊が深刻な日本では「地方創生」が言われている。事情は韓国、中国、アメリカもあまり違わないのではないだろうか。国民国家の賞味期限は切れたという。であれば、地方と地方を結ぶ「インターローカル」こそが政治と産業社会の最新の現実的課題ではないだろうか。姉妹都市ネットワークの形成が、ポスト国民国家の地平を開く。

第29号(2016年7月30日)

2016年08月17日

間もなく「終戦の日」がやってくる。1945年8月15日。しかし本当は「敗戦の日」ではないのかという議論がある。米英中ソ4カ国に対してポツダム宣言(無条件降伏)を受諾した旨を天皇自ら日本国民に伝えた日。

大宅壮一編、半藤一利著『日本のいちばん長い日』には、一億玉砕を唱える阿南惟幾陸将に対して東郷茂徳外相が戦況に鑑みて本土決戦で勝てる保証はないと主張し、天皇の「聖断」によって戦勝の終結を決めた場面が生々しく描かれている。それまで「神州不滅」を煽ってきたマスコミは「敗戦」ならぬ「終戦」という表現で綻びを繕い通してきた。

西暦663年、白村江の戦いで任那日本府は滅んだが、唐・新羅連合軍の侵攻を免れ、二度の元寇も台風に救われた日本。明治維新後、日清・日露戦争に勝ち、第一次世界大戦でも戦勝国になって驕慢その極に達した。

結局「不敗の神国」は瓦解。天皇は「現人神」から「人間」に戻る。「敗戦の日」の翌年1月1日、昭和天皇は「天皇ヲ以テ現御神」としてきた「架空なる観念」を捨てて人間宣言をされた。それは、この国で生活する民衆と天皇が”侵すべからざる神という虚構への滅私奉公”から共に解放された祝詞でもあった。

第28号(2016年4月28日)

2016年05月09日

柳永模の思想を一言で要約すると「飛び立って、前に進む」と朴在吉氏が言われた。(本紙6面参照)。魂にビビーンと響いた。金泰昌先生の名通訳だと思う。鳥でもトンボでも虫でも、地上から空へ舞い上がる時は精神と肉体の一切を、飛び立つことに集中させる。飛び立って気流に乗ればあとは自由自在だ。良心的決断と勇気を形容するにふさわしい表現である。

福島第一原発の吉田所長は、武黒東京電力フェローからの海水注入中止命令に違反して格納容器を守り続けた。一日塩水を入れると原子炉が使えなくなる。そんな計算が東電上層部に働いたのかもしれない。

業務命令に背いてでも格納容器爆発による放射能大量放出の事態を回避させるために、躊躇なく海水注入を続けた吉田所長は、内部経済合理性というエゴイズムの枠から飛び立ったのだ。

今、世界は地球という格納容器が大爆発に近付いている。このままでは現在世代と将来世代が取り返しのつかない惨禍に見舞われるだろう。「人間」ならば、我々は今こそそれぞれの持ち場で、良心に従って、断固行動を起こさねばならない。飛び立った魂には天の霊気が入り、次元転換して自由に天空を飛翔するだろう。かかる魂と魂が連帯することによって未来共創の前進が始まる。時は熟した。


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