第30号(2016年8月15日)

グローバリズムに対抗してナショナリズムやローカリズムが唱えられているが、いずれもイズム(主義)に収斂してしまう。金泰昌氏は、三つのイズムを横断媒介する概念として、公共する哲学で「グローナカル」を唱えた。

ナショナルの「ナ」を欠いたグローカルだと、軍事力がものを言う現実の国際政治の中で個人は無化する。いかなる自由人にも国籍はある。だから、現時点ではグローナカルでなければならず、そこからいかにしてナショナルを薄めつつグローカナルに漸進的に移行していくかが長期的目標となる。

国際政治はインターナショナルである。肌の色や民族や男女等々の違いを超え「人間の尊厳」に立脚したインターインディビジュアルという究極の理想にいくためのステップとして、インターローカルがある。

中央集権の弊害と地方の疲弊が深刻な日本では「地方創生」が言われている。事情は韓国、中国、アメリカもあまり違わないのではないだろうか。国民国家の賞味期限は切れたという。であれば、地方と地方を結ぶ「インターローカル」こそが政治と産業社会の最新の現実的課題ではないだろうか。姉妹都市ネットワークの形成が、ポスト国民国家の地平を開く。

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