未来共創新聞1面コラム

第12号(2013年8月15日)

2014年02月05日

「八紘(はっこう)一宇(いちう)」という言葉がある。

『日本書紀』巻第三神武天皇の条に基づいて戦前、国柱会の田中智学によって造られた。「道義的に世界を統一して天下を一つの家のようにする」という意味だが、これが日中戦争を「聖戦」として正当化するスローガンとして使われた

▽国柱会の会員に「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と宣言した宮澤賢治がいる。しかし、賢治と国粋主義の国柱会とは水と油である。「賢治の不明」というよりも、ことほど左様に本物と偽物の区別は難しいことを私たちに教えてくれる

▽「反省のふり」というのがある。これも「偽物」すなわち自己正当化のための目くらましである。「もし私の言い方が誤解を与えたとすれば、心からお詫びします」というのは一見謙虚を装った逃げ口上にほかならない。「すれば・・・」が曲者(くせもの)だ。真率に詫びる者の誠意が感じ取れない。安冨歩東京大学教授は、こういう類の詭弁を「東大話法」と呼んだ

▽本物と偽物を見分けるコツは何か。それは、ひたすら本物に触れることである。目利きの骨董屋は本物だけを見て鑑識眼を磨く。偽物が本物の顔をして現れても、直感と裏付けをもって短期日のうちに偽物と断定する。古典を読む意義もそこにある。

第11号(2013年6月15日)

2014年02月05日

道志真弓さんの長女・弓(ゆみ)華(か)ちゃんは14トリソミーという世界に30例しかない難病を持って生まれた。その上心臓に穴が4箇所空いていたため、泣くと無酸素状態になり命にかかわる。

そんな弓華ちゃんが母親の愛情に包まれて8年8カ月の命を生きた記録を綴った『笑顔の戦士』(文芸社刊)は、私たちの「いのち」とは何なのかを深く考えさせる

▽不妊治療をやめ、子供を持つことをあきらめていた。そこへ妊娠。天から授かった命は幾つもの難病をかかえており、生きて生まれてきたことが奇跡だった

▽重度の障害児と知らされて泣き続ける真弓さんに主人が言った。「流産しないでちゃんと生まれてきて泣いたりしているんやで。いまがいいんちゃう?」。その言葉がきっかけになって、母親は再び上を向いた。それからは前向きな本来の自分を取り戻した。泣けない、歩けない、話せない。赤ちゃんのままの弓華ちゃんは、車椅子で外出するのがとても好きだった。冷たい外気に触れると、無邪気な笑顔になった。「日々の緊張の連続の中で、私ががんばってこられたのは、弓華の笑顔のおかげだった」

▽真弓さんが目を閉じれば、今も「いろんなゆみちゃんが、いつでも私に微笑みかけてくれる」。

第10号(2013年4月15日)

2014年02月05日

明治維新から百年目の1968年頃、一つの疑問が提起された。「消費は美徳か?」(全国師友協会『師と友』誌)。

当時は第二次高度経済成長の真っ最中。国民の購買力を刺激することが経済成長を促すのだから消費は美徳だというのが経営の神様、松下幸之助の主張だった

▽消費を伸ばすためには人間の欲望を刺激すべきで、「有り難い」とか「小欲知足」といった道徳心は経済成長の妨げになる。「節約」や「修理」はナンセンスで、生活スタイルが「古い物を捨てて新品を購入する」という方向に変わって今に至る。道徳と経済の両立は無理なのか

▽財政出動というカンフル注射は、「美徳」である消費を刺激するための政策である。輸出が増え株式・金融・建設などに大量の資金が流れるが、消費増税で生活弱者にどこまで恩恵が及ぶのだろう。バブルが弾けて庶民の生活が更に悪くなるということがあってはならない

▽「世界一の資産大国」である今なら、日本は先進国に先駆けて国家百年の大計をどのようにでも創ることが出来る。一滴の水にも生命を見、一粒の米に天地自然の恩恵を感謝する「ポスト近代文明」の共創こそが、今の日本人に課せられている使命ではないだろうか。

第9号(2013年3月15日)

2014年02月05日

東方遠征で知られる大英雄アレキサンダー大王(前356~323年)は弱冠二十歳でマケドニアという小国の王位を継承した。

彼の教師はプラトンの弟子アリストテレスである。遠征の前夜、宴会をするが、領地や森林や財宝など自分の持ち物全てを仲間に与えてしまった。ある貴族が王に尋ねた。「王よ、あなたには何も残らないではないですか?」。アレキサンダーは言った。「私には希望がある」

▽破竹の勢いで連戦連勝したアレキサンダーは4万の兵を率いてペルシャ100万の大軍と最後の決戦に臨む。部下の将軍が進言した。「この大軍に勝つには、夜襲しかありません」。アレキサンダーは言った。「私は勝利を盗まない」。ペルシャ側は夜襲を予想し、全軍完全武装で眠りを断った。一方、ぐっすり眠って元気一杯のギリシャ軍は一気呵成に敵陣を蹴散らして完勝した

▽日本の現状は極めて厳しい。日本の未来に希望はないのだろうか? 否。一番深い闇は暁暗を孕む。絶望してはならない。矜持を捨てて「勝利を盗む」ようなことをしてはならない。断じて魂を売るな。我々は勇気を持って良心に忠実にいきようではないか。

自他非分離のネットワーク。そこに未来共創の実像がある。

第8号(2013年1月15日)

2014年02月05日

ルネッサンスの巨匠ミケランジェロが友人と郊外を散歩していると、野原に苔むした黒っぽい石ころが転がっていた。それを見たミケランジェロは「この中に美しい女神が虜(とりこ)になっている。僕はこの女神を救い出さなければならない」と言った。その時友人は言葉の意味が理解出来なかった

▽数日後、ミケランジェロはその石をアトリエに運び込み、せっせと鑿(のみ)をふるいはじめた。それから数カ月の後、アトリエの中には立派な大理石の女神の彫刻が刻み上げられていた。(『下村湖人全集』第6巻)

▽東洋の禅の公案に「黙聞」というのがある。そこらに転がっている石ころが言葉を発している。その声を心の耳で聴けというのである。ミケランジェロは、心の目で、石ころの中の女神を視た

▽東北の詩人・宮澤賢治の『どんぐりと山猫』の一場面。三日かかっても決着が着かない裁判があった。どんぐりたちが「頭のとがっているのが偉い」とか、「丸いのが偉い」などと主張しあっている。山猫が最後に「いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなってゐなくて、あたまのつぶれたやうなやつが、いちばんえらいのだ」と言うと、シーンとなって決着がついた。

逆転の発想に叡智がある。


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