未来共創新聞1面コラム

第7号(2012年12月17日)

2014年02月05日

岩崎宏美の「マドンナたちのララバイ」は戦後経済成長の第一線で働いてきた団塊の世代の心に浸みた。早朝に家を出て職場で必死に働き安酒で傷を癒して夜遅く帰宅する。まるで母子家庭。戦時中の銃後の守りのようだった

▽武器を持って戦う戦争は終結したけれど、物の豊かさを求める経済戦争という別の戦争に明け暮れた日本はアメリカに次ぐ経済大国へと奇跡の成長と遂げた。現在はデフレギャップで世界一の富裕国になっているにもかかわらず震災の被災者にさえお金が流れないという奇妙な「不景気」に自信を失っている。日本は駄目な国なのだろうか

▽女優でユネスコ・アジア文化センター顧問の中野良子さん。彼女が子どもの頃、年の暮れには一家で餅をついた。つきたてのモチを細長く伸ばし、薄く切った「ホトプレモチ」は、子供たちの一年分のおやつになった。おばあさんは固くなったモチを朝から温かい胸に入れて暖め、子どもが帰ってくる頃には柔らいモチに戻っていた

▽中野さんがおばあさんのホトプレモチの心で講演をすると、どの国でも話がスッと通じるという。「日本人が忘れていたのはホトプレモチだった」と気づいた。「思いやり」は、世界に誇れる日本の心ではないだろうか。

第6号(2012年10月15日)

2014年02月05日

「夫婦仲が良くないといい糀(こうじ)は出来ません」という言葉をおばあさんから聞いて、ずっと耳に残っていたという。

京都精華大学元教授の槌田劭(つちだたかし)氏は、実際に自家製の味噌を造ってみて、この言葉の意味を悟った。時々刻々と変化する糀に、恋人の如く足繁く通わないと、いい糀が出来ない。それは、仲の良い夫婦が相手を思いやるようなものだと

▽槌田氏は京都大学工学部助教授時代に学園紛争に遭遇。「専門バカ」という言葉に感ずるところがあり、その後京大を離れて「生活者」の視点を持つようになった

▽平井孝志氏は「生命(いのち)の系」の科学を提唱し、鉱物中のミネラル(微生物)を物の如く扱う「物質の系」の科学に疑問を持った。槌田氏と平井氏と通底するのは、存在そのものへの畏敬の心である

▽「神聖な経済学」を提唱するアイゼンスタイン氏(米)は、「人間は人材でも財産でもない」と喝破した。全てをお金(マネー)に換算して奴隷人間をつくる非人間的経済の時代は終焉を迎えようとしており、これから「再結合」の時代が来るという。新しい経済は分断ではなく繋がりあう「分け合い経済」である。糀造りのワクワク感を誰もが実感できる「生命の系」の共福時代がすぐ近くに来ている。

第5号(2012年9月15日)

2014年02月05日

坂本龍馬を現代に蘇らせたのは司馬遼太郎の名著『龍馬がゆく』である。

NHKの大河ドラマにもたびたび登場した龍馬の人気は抜群だ。大西郷は、龍馬を「天下に有志あり、余多く之と交わる。然れども度量の大、龍馬の如くのもの未だ嘗て之を見ず。龍馬の度量や到底測るべからず」と、最大の賛辞をもって評した。では龍馬の真骨頂は何だったのか

▽それを解き明かす鍵が『龍馬がゆく』の「あとがき」に出ている。船中八策を起草して大政奉還の無血革命を成就させた大功労者の龍馬は、「『自分は役人になるために幕府を倒したのではない』と、このときいい、陪席していた陸奥宗光が龍馬のあざやかなほどの無私さに内心手をうってよろこび」云々と

▽龍馬は儒学者の横井小楠に通算6度にわたって会い、その影響を強く受けた。幕末の小楠は「全地球の公論」「全地球の全論」という言葉を既に使っていた。翻って今の日本のオピニオンリーダーを見るに、議論の範囲のあまりの狭量さに悄然とする

▽龍馬の眼中に徳川家はなく、「世界の中の日本」を創るために犬猿の仲の薩摩と長州を仲直りさせ、幕臣の勝海舟とも繋がった。龍馬の大局観と無私を兼ね備えた21世紀の坂本龍馬よ出でよ!

第4号(2012年7月15日)

2014年02月05日

「汝の良心に忠実なれ」―。1994年の春、京都市の京都国際交流会館に一枚の西陣織の壁掛けが贈られた。

織り込まれた鮮やかな刺繍に、京都大原・寂光院小松智光門主が「幽邃(ゆうすい)な大原の景観破壊は人間の良心の敗北です」と祈りを籠めた

▽大手広告代理店と地元の電鉄会社が大原一帯のディズニーランド化を構想。比叡山中に動物園を設け、延暦寺の横川中堂と三千院付近の間に東洋一の大ロープウェイを架けるという無粋極まる計画だった。当時はやった「活性化」という経済効果を理由に、着工へのプロセスが順順と進められ、大新聞は戦わずしてシャッポを脱いでいた

▽「ご安心下さい」。小松門主の決起に小新聞の記者であった私が確信し、一人の会社経営者が動いた。識者の良心の声を集めた報道が宗教界や京都経済界に届けられた。市長と市議会宛の5万人の署名が国を動かし、大原は歴史的風土特別保存地区に指定され計画は白紙撤回された

▽かけがえのない将来世代への景観を護ったのは、大新聞でも、テレビ局でもない。思いを一つにして団結した一握りの人々の断固たる決意と行動であった。永続的未来を共創する獅子よ、我等も「汝の良心に忠実なれ」の旗の下に決起しょうではないか!

第3号(2012年6月15日)

2014年02月05日

「現在生きている人で、私ほど戦争と、それが引き起こす破壊を経験した者は恐らく他にあるまい」(マッカーサー『回顧録』より)。

連合国軍最高司令官として日本占領政策を取りしきったマッカーサーは「原子爆弾の完成で私の戦争を嫌悪する気持ちは当然のことながら最高に高まった」と書いた

▽しかし、彼は朝鮮戦争の勃発により、またも戦争の指揮を執る。「戦争」行為は人類の宿業であって地上からなくならないと考えるべきなのか

▽紀元前3世紀頃、古代インドを統一したアショカ王は戦争に明け暮れ、「残忍アショカ」の異名をとった。しかし、カリンガ国征服で殺戮の限りを尽くして戦争の悲惨と残酷を目の当たりにした王は、武力による統治を放棄して、深く仏法に帰依するに至る。後年インドを訪れた玄奘三蔵は、アショカ王の建立になる百を超える仏塔の存在を伝えている

▽アショカ王の没後、インドの仏教は衰退したが、アショカ王の「回心」と「法による統治」の事実は永久に歴史に刻まれている

▽マッカーサーの統治下にあった日本は戦争放棄の平和憲法を制定。恒久平和を願う人々の祈りが籠められた九条には、日本が世界に誇るべき文化資源がある、と言えないだろうか。


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