第22号(2015年1月31日)

1960年代の日本で学園紛争が流行した。社会変革に役にも立たない知識を象牙の塔の中で切り売りしている大学教授がやの玉に挙がり、唯物論のマルクス主義革命に血道を上げる学生が大学をバリケードで封鎖した。

ある熟年男性が彼らに対峙し、「君たちと僕とはほとんど一緒だけど全く違う」と一喝した。大学には「学問を学ぶ場」としての目的拘束がある。そこへ学費を払って入学したのに、ほかの学生の「学問する」権利を力ずくで奪う非理と自己矛盾を突いたのだ。

二宮金次郎の思想と行動の肝は道徳と経済の両全にあると指摘されている。経済の語源は「経世済民」すなわち「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」こと。幼年時に全財産を失い、十代で両親を亡くして兄弟とも離れて辛酸を嘗めた金次郎は、一切の困難を己が魂を磨く砥石とし、真金となって世に輝いた。彼は米相場で儲けたお金も給金も寄付金も、譲道をもって助けあえる世の中づくりのために推譲した。金次郎が視線を注いだのは、最も貧しく弱い人々であった。道徳と経世済民の両全である。

一方、最近経済界で人口に膾炙されている「自利利他」は、不純な邪心も許容していないか。真金とほとんど一緒だけれど全く違う。

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