第8号(2013年1月15日)

ルネッサンスの巨匠ミケランジェロが友人と郊外を散歩していると、野原に苔むした黒っぽい石ころが転がっていた。それを見たミケランジェロは「この中に美しい女神が虜(とりこ)になっている。僕はこの女神を救い出さなければならない」と言った。その時友人は言葉の意味が理解出来なかった

▽数日後、ミケランジェロはその石をアトリエに運び込み、せっせと鑿(のみ)をふるいはじめた。それから数カ月の後、アトリエの中には立派な大理石の女神の彫刻が刻み上げられていた。(『下村湖人全集』第6巻)

▽東洋の禅の公案に「黙聞」というのがある。そこらに転がっている石ころが言葉を発している。その声を心の耳で聴けというのである。ミケランジェロは、心の目で、石ころの中の女神を視た

▽東北の詩人・宮澤賢治の『どんぐりと山猫』の一場面。三日かかっても決着が着かない裁判があった。どんぐりたちが「頭のとがっているのが偉い」とか、「丸いのが偉い」などと主張しあっている。山猫が最後に「いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなってゐなくて、あたまのつぶれたやうなやつが、いちばんえらいのだ」と言うと、シーンとなって決着がついた。

逆転の発想に叡智がある。

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