第14号(2013年10月31日)
阿部次郎著『三太郎の日記』の「砕かれざる心」の書き出しは次の言葉から始まる。「彼はこの数ヶ月の間、殆ど他人を愚かだと思ふ心と、自らを正しいと思ふ心との中に生きてきた」。
三太郎は、日記の中で、批評家の指摘を見当違いだと断じ、「畏縮」ではなくかえって「膨張」していく自身に「傲慢」を視て、行き詰まっていた
▽自分の本当の価値を認めてくれない周囲にいらだつ三太郎は、厳しい指摘を受ければ受けるほど自らの傲慢が膨張していくことに忸怩たるものを感じてきた。ここまでが昨日までの三太郎である
▽今日、三太郎の前には二つの道が見える。一つの道は、他人の自身に対する批評の当否はともかく、自分の自我を凝視し、自らが過去から積んできた罪の深さに懼れおののき、真実砕かれたる心で、万人への愛に献身する永続的な道である
▽しかし人は往々にしてもう一つの道を選ぶ。もう一人の三太郎は、自分の過去の善行の数々を数え上げ、自分を認めない者を「愚か」だと誹謗し、逆に自分を特別に選ばれた人であると自己規定して、自己膨張を増幅させる
▽民族で言えば「選民思想」、国家で言えば「国粋主義」、人間で言えば「驕る者」。三太郎は今、岐路に立っている。