創刊号(2012年4月1日)

「和国の教主」と呼ばれた聖徳太子は三つの義疏(仏典の注釈書)を著した。

『維摩経義疏』は、在家仏教信者の維摩詰を主人公とする物語を注釈している。維摩居士に「衆生病むが故に吾病む」という有名な言葉がある。人間の生老病死の悩みを「病い」と捉え、人間世界から悩みが消えない間は私もまた病む、という。

維摩の病は「大悲」によって起こる。亀井勝一郎は、「(そこに)教靭無比の精神を見出すべきであらう」(『私の宗教観』)と指摘している

▽翻って、今の日本は健康なのか、病気なのか。東日本大震災がもたらした福島第一原発事故は、放射性物質の内部被曝の不安を我々に与え続けている。地震列島の”時限爆弾”が、いつまた爆発するかもしれないという恐怖もある。

我々はこの現実を「衆生の病」(不安)として受け止めるしかないのだろうか

▽西の聖者キリストは、人類の原罪を一身に背負って十字架に架かった。これを「贖罪」という。原水爆と原発のもたらす悲劇を体験した日本人は、絢爛たる科学文明がもたらした災禍を”文明の質の転換”への契機(贖罪)として受けとめ直し、「強靱無比の精神」の連帯で世界に発信する使命がある。

人間の叡智は、悲劇をすら”希望の曙光”に変えるだろう。

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